2011年02月13日

あの時の気持ちは気持ちとして。

2006年2月17日
http://wohl.seesaa.net/article/17733566.html

2007年2月19日
http://wohl.seesaa.net/article/34086308.html

2008年2月13日
http://wohl.seesaa.net/article/83838726.html

2009年1月23日
http://sayupe.seesaa.net/article/113043670.html

2009年2月13日
http://sayupe.seesaa.net/article/114173656.html
http://sayupe.seesaa.net/article/114217578.html

2011年1月25日
http://sayupe.seesaa.net/article/182316919.html


毎年の、この時期に書いてた文章を初めて見返した。
2006年のは、見るのしんどくなるけどね。

っていうか、恥ずかしーなー。ってなのもある。

でも、あのときは、そう思っていたし、そうしたかったわけで。

2010年、去年は、mixi日記にも何も書いてない。
それどころじゃなく、自分にいっぱいいっぱいだった。
精神的に落ちていく一方だった時だったからねぇ。


今年は、この1年、自分のために使った時間によって、心も回復。

この日の迎え方も、5年経って変わったなぁ、という感じ。

変えちゃいかんのじゃないか?
とか
もっと感傷にひたったほうがいいんじゃないか?
とか
思ったりもするんだけど、一人で、こうやって文章にしてるのなんて、自慰行為でしかないわけで、代わりに「こんな人がいたねん」といろんな人に話したい、っていう風になってきた。


こうやって、ネット上で文章晒すことは、中1くらいからやってるから、まったく抵抗ないのだけど、内容考えるようになったのは、次のステップなんだろうな、と思ったりもします。これはまた別のおはなし。

でも、自分のWEBで長山さんとやりとりしたなぁ、とか(自分のそのときの恋愛観みたいなのを日記にあげたら、それについてLong Mountain氏がいろいろ掲示板に書き込んできた!笑 あのときは、幼かったなぁ、自分。)、今逆に知ってる中学生とか高校生とかが持ってるWEBに何か書き込もうとするかっていうと、する踏ん切りつかんなぁ、と思う。だって、最後までお付き合いしないといけないと思うし。めんどくさいな、と思う自分がいるのは確か。
でも、それをしたのが、長山さんなんだよねぇ。

長山さんの教育のスタイルは、伝えていきたいな、と思うし、ことあるごとに話していくと思います。


あ、最後に一つ。ここ数日体調悪かったことを、先生のせいみたいにして、ごめんなさい。(笑)
気の持ちよう。自分の心がよわよわになっていたのだなぁ、という気付き。
posted by Sayu at 10:50| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

夢を見た。

タイムリーだなぁ。



せんせいと、会ったよ。

もう、夢の中でしか会うことができない、せんせいと。


もうすぐ、2月13日。


もう5年。


あのとき、1ヶ月後にある学年同窓会で会えると思ってた。

前日まで、掲示板でやりとりしてた。

いつでも、学校にさえ行けば、社会科準備室にさえ行けば、会えるもんだと思ってた。


「いつでも」は「いつか」であって、もう来ないこともあるんだ。



私は忘れることはない。
http://obaco.jp.land.to/xoops/modules/news/article.php?storyid=1207
posted by Sayu at 11:52| 京都 | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

ゴールデンスランバー感想。

ただただ、「ありえそう」で恐くてハラハラしながら読了しました。

ベースにあるものは「習慣と信頼」なのだけど、それによって成り立っている物事がすごい安心感。でも、こうも巨大な力によって、犯人に仕立て上げられることって、ホントにありえそうで、めちゃ恐い。

作中にもあったけど、自分の知らないところで勝手に戦争が始まっていったりとかする過程も似通った状況になるんだろうな、と。

伊坂作品でこんなにもハラハラドキドキした作品は初めてでした。

でも、これに関しては映像が頭の中で組立ってしまった。

他の伊坂作品は「どう映像化するの?」ってくらい、伏線がはりめぐされているので、原作→映像の順で観るようにしていたのだけど、今回は「おお!!」っていう伏線回収が少ない気が。。伊坂作品に慣れてしまっただけかなぁ。。おもしろさは、「オーデュボンの祈り」以来!って感じなのだけど。

とりあえず、DVD借りてくることにしますヽ(´ー`)/

しかししかし。実写は堺雅人さんが主人公なわけで、原作読んでるとき頭の中では主人公の青柳さんは堺さんでした(笑)

というわけで、オススメ度は☆5つですヽ(´ー`)/


posted by Sayu at 23:49| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

もうすぐ5年、らしい。

先週月曜の「ドラクロワ」に、先生の奥さんが出てはった、というtweetを観て、今日あった再放送を録画。

先ほど、観ました。


そっか。もう5年なのか。

毎年、この時期にも、というか、ことある毎に思い出すし、対話するし、一生忘れることはない、人。

そして、2月13日も忘れることはできない。


ちなみに、放送観て思ったけど、「俺を乗り越えていけ」なんて、聴いたことがない(笑)

「馬鹿だね」とか「それだから駄目なんだよ」とか。

でも、ハードルであり、壁であり、立ちはだかってくれた人、だったなぁ、と思う。

乗り越えていけ、なんて言われてないけど、乗り越えてやる!とは思った。

でも、いつまでも立ちはだかっていてほしいな、なんて思ったりもした。


だから、突然いなくなってしまって、どうしようもなく、いまも、かなしいな、って気持ちは消えない。


もう納得はしてるし、会えないのも、話せないのも、わかってるけどね。

脳内ながやまんと対話して、そこで出した結論を、こうしていくんだ、ってのを、誓うしかできない。
あのときのそれまでの長山さんならこう言うだろうな、っていうものでしかできない対話の哀しさ。

だから、後悔しないように、思ってることは伝えておかないと、いつ何が起こるかわからないんだって、思う。


それは、震災のときも思った。

どうしようもない大きな力によって、生が終わることがあるのだ、と。


それはもう、どうしようもない。


もうすぐだ。もうすぐ2月13日。
あれから5年。

先生の話をしよう。
聴いてほしい。先生のこと。
posted by Sayu at 00:38| 京都 曇り| Comment(11) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月03日

私とユースワーク。

ユースワークという手法がある。
かれこれ10年来のお付き合いだ。

ごくごく最近はその手法を使って自分より年下の世代や同世代にアプローチもしている。

修論でとりあげることになり、でもまだちょっと雑然としている感があるので、私が思うユースワークについてメモ程度でまとめておく。
手法として、方法としてのユースワークについては、だいぶまとめられているので、それは先行研究部分に使うのだけども、実際その方法をもって関わられた経験をもつ自分から見えることはなんなのか、まとめたい。

○ユースワークをもって関わられた私
「ユースワーカー」という人と出会ったのは、10年前の高校2年生の春。
それ以降種々の活動でユースワーカーの人たちと関わりをもつことになるのだが、関わられる私が何を感じていたのか。

まず、「こんな大人がいるんだ」ということ。
これは、今も関わりがあるワーカーさんだけども、直接的に私との関わりをとある事業内でもたれた。その事業の中には、高校生と大学生とがいたけども、その中で自分の意見に耳を傾けてくれる大人がいるということ、ちょっと年上の人たちがいるということ、同世代がいるということ、それがかなり新鮮だった。
中学生以降、自分の話に耳を傾けてくれる大人には出会っていたけども、その話を「評価しない大人」に出会ったのは初めてだった。
「大人」というものは、「子ども」の意見に対して、聞く耳をもたなかったり、無理だと決めつけたりするものだと思っていた。評価されずに聴いてもらえる経験は、嬉しかったと同時に、なんだか自分が認められていると思った覚えがある。

次に、「何がしたいのかを徹底的に問われる」ということ。
これがしたい、あれがしたい、で終わることはなく、なぜそれがしたいのか、どのようにすればできるのか、などの精査していく問いかけがあった。この自分の「したいこと」に対しても、評価がなされなかった。


○こんなこともあった

一度、ワーカーさんの個人的な考えに触れた時に、違和感を感じ、そのワーカーさんと距離を置いたことがある。
でも、一人の人間として感じることがあるのは当たり前だ、と受け容れたことによって、距離を置くことをやめた。
その一件を境に、関わる-関わられる関係性ではなくなっていき、自分自身も他のワーカーさんに対して、一方的に関わられることを厭うようになっていった。


○ユースワーク、ユースワーカーへの気付き

今現在、自分のモデルとなるワーカーさんは複数いているが、全員違うアプローチ方をとる。その人の人となりが出ているのだ、ということに、その人たちの関わり方を客観視することで気がついた。

でも、関わられる青少年も生身の人間であるのであって、ワーカーが多種多様な人たちで構成され、そしてまずその青少年の存在そのものを受け容れることができれば、青少年自身が複数のワーカーと付き合い、その中で自分に合う人を探していく、その過程すらも見守ることが必要になってくるのではないか。
ということは、たとえ「普通」に見える青少年であっても、センターにやってくる、という一つのきっかけから、ワーカーの働きかけに応じて見せる反応にまた応じて・・・を繰り返すことで、なんらかの課題が見えてくるであろうし、そもそも、自立への課題がないのであれば、ワーカーの手を借りなくても、自立していくだろう。
この時代を生きる青少年、若者だからこそ抱えている課題は一様ではないが、その課題に青少年自身が気付き、解決していけるように「そばにいる」というアピールがまず最初のワーカーの役割となってくるのではないか。
その後、伴走するのか、手をひっぱるのか、背中を押すのか、手を振るのか、は青少年自身の選択によるのではないか。


とりあえず、以上ここまで。
posted by Sayu at 02:05| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月02日

いまの関心事項。

とりあえず羅列。2011年になったことでもあるしね。

□ユースワーク
□Tグループ
□セクシャルマイノリティ
□HIV/AIDS
□子どもの貧困
□対話
□虐待のメカニズム→子どもに何をもたらすのか→周りの人ができることは
□対人関係に不安がある人たちの社会化
□自立
□自身の内面(思考や感情)を言語化すること
posted by Sayu at 17:32| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

北星余市高校訪問と雑感。

2010年11月11〜12日、北海道にある北星学園余市高校を訪問しました。
少し前、ヤンキー先生母校に帰る、で有名になった高校ですね。

きっかけは、訪問する1週間前に、関西こども文化協会さんを訪ねていったことにあるのですが、即決して行ってほんまよかったなぁ、というのがすっと出てくる感想です。

今回の訪問でとても良かったのは、関西こども文化協会の代表理事の蔦田さんが、保護者OB(っていうのかな?)だったことにあるのではないでしょうか。

至れり尽くせりだなぁ、と感じたのは、どの訪問者に対してもなのかもしれないですが、担任を持ってはる先生方とまじめな話から、お酒が入った話までできたり、生徒の下宿先を訪問させてもらったり、授業を自由に見させてもらったり、生徒会の生徒たちと交流したりと、自分が描いている「学校訪問」像からかけ離れた2日間を過ごさせていただきました。(要は、見知らぬ人たちに対してというより、関係者向けの対応がなされていた感があったという感じです。)

とりあえず、ここでは自分が感じたことと、ステキだなぁと思った言葉を載せることにします。

□先生方との懇談
・一人の生徒に教師全員が関わる
・養護教諭、スクールカウンセラーの役割は担任が担う
・生徒とのやりとりを見せる
・指導を密室でやらない
・生徒がないがしろにされていない自覚
・教師が働きやすいと感じる職場
・言いたいことを言える教師集団
・問題がたくさん起こるほうがいい
・教室に権力を存在させない
・「姿」を見せる
・教師が「大人」であるということ

生徒は全国からやってくることもあってか、現在学校教育の中で浮かび上がってくる事象(「問題」とは言いたくないので、事象:発達障がい、心身症、セクシャルマイノリティ、等々)は、全国的に話題になる数年前に学内で浮かび上がってくる、とのこと。
そういった事象をほっておかずに、常に対応し続けている印象。

何よりも「集団」というものに価値が置かれているところが素晴らしいなと思います。(←自分の現在の関心事項も集団なので。グループ内の相互作用の可能性はすごいと思うので。どう「すごい」のかは、ただいま論文内で言及しようとしております。)
同じ「集団」で児童・生徒をみる「学び合い」で物足りなかったものが、北星余市高校にはありました。それが、教師という大人の役割。
教員でありながら、一人の大人として生徒に関わるというスタンス。だから、一人の人間として生徒という人間とぶつかる。そのやりとりから逃げない。

これまでの生活の中で排除されてきた生徒が多いからこそ、一人一人の生徒とぶつかりあう。話し合う。やりとりする。だから、学校に通えなかった生徒も、通えるようになる、卒業できる、のだろうなぁ、と感じました。

あと、もっと素敵だなと思ったのが、教師集団が質の高い精神的に解放された集団であるか、というところを絶えず努力されているところ。
これは、2日目に前校長をされていた方がおっしゃっていたのですが、教師自身が自分らしい有り様で生徒と接することが必要である、と。

いま大変な思いをして教員生活を送っている後輩は、どうやら職員室の居心地がとても悪いよう。先生同士のコミュニケーションが成り立たない。新採で数ヶ月で学校をやめなくてはならなくなった同輩も、クラスの子どもたちや保護者との関係性ではなく、教員内での関係性によって、でした。

いま、「わたし」が属する環境が、「わたし」でいられる場でないとすれば、その抑圧されたものは、どこかでひずみとして浮き上がる、のではないでしょうか。
教員という、生身の人間を数十人も一気に相手する「仕事」であるならば、「わたし」が属する場が誰にとっても居心地の良い場でないと、クラスにひずみが出てくるのではないかと思います。

だから、まず教員である自分たちが、自分たち組織の環境について気を配る、この集団内で、老若男女がその属性にとらわれずにモノが言えているかどうかを、指標にして。

うまくいっている会議やミーティング、そして組織は、すべての構成員が言いたいと思うことを言い、それをすべての構成員が聴くことができる状態であると思います。

だからこそ、そこで教員自身が納得して行動し、生徒に関わることができるのではないのかな、と思いました。


□下宿訪問
・大人が接すること
・上級生と下級生の存在
・親ではないけど親みたいな存在

2つの下宿を訪問させてもらいました。
やはりここでも感じたのは、「大人」が関わることの重要性。

すべての下宿を見、そこのおじさん、おばさんとお話しすることができたら、また違う見方もできるのかな、と思います。
実際、その下宿にいる子どもたちの中でどんなことが起こり、そこでどんなやりとりが起こっているのかは見えなかったので。
訪問した下宿のうち一つは、おじさん、おばさんの目の前で起こるやりとりに対して、おばさんの感じたことを言うというやりとりがなされたりするようで、それはとても素敵だなぁ、と思いました。
でも、すべての下宿がそうなのかは、わからないなぁ、とも思いました。

□授業見学
・「授業聞かんのやったら、出て行けー!」的なことを言うような先生はいないようだ(ケータイが鳴ろうが、音楽を聴いていようが、ゲームをしていようが、それぞれに対して、「今はその時間じゃない」とか「教科書を見る」といった言葉かけがなされる)

すべての教員の授業を見たわけではなく、しかも短時間ずつだったので、なんとも言えない、、けども、あきらかに、自分が受けていた高校の授業風景とは違いました。黒板とその前にいる教員、そしてその教員が授業する、という光景は一緒なのだけども、その授業を受けている生徒の雰囲気が違う。でも、やんちゃそうな子もおとなしそうな子も、一緒の教室で静かに授業を受けている、というのがおもしろいなぁ、と思いました。

□生徒会との交流
・見捨ててくれない
・先生が生徒を頼りにしてくれる
・興味をもってもらえるのが嬉しい
・こんな大人になりたい!と言える高校生
・先生がくじけない
・一生懸命やってたら誰かが見ててくれる
・先生に対して、引くところも覚えてほしい、と言う高校生

交流を終えての感想は、とても人間らしい高校生だなぁ、と感じました。
言葉の紡ぎ方が、感情的ではないけども、感情からきている言葉であると感じました。
言葉の軽さがない。そのとき感じたことや考えたことを、言葉にしているんだなぁ、という感覚でした。
それが、その場にいた高3生全員に感じたことであるから、すごいなぁ、と感心。

とくに、「見捨ててくれない」と一人の高校生が言ったのに、とてもびっくりしました。
見捨ててくれない、なんて言葉が出てくるなんて。
誰かから関わることを放棄された(=見捨てられた)経験をしていない限り、出てこないだろうなぁ、と思いました。
それだけの経験をしている生徒が多いのだということも、高校生たちの口から出てくる言葉で実感。

生徒たちの言葉からも、先生方の向き合い方が伝わってきました。




一人の生徒のためにやったら、すべての生徒のためにやらなあかんのやから、やめておけ。
というのが、まかり通っているようです。ふつーの学校では。

でも、この学校は、まず一人の生徒のためにやれることをやる、のだそうです。


「先生」という属性の人たちで、初めて超受容的な人に出会いました。


救われるなぁ



2日間を通して、やはり考えさせられたのは「自分」でした。

世間が敷くレールからは一応外れず、「非行」という行動にも走らなかったけども、不登校にもならなかったけども、そうなっていてもおかしくなかったんじゃないか、と今だからこそ思うのです。

自分の場合、「家」にいることが苦痛で苦痛で仕方なくて、だからこそ外に目が向いて、外でたくさんの「大人」に出会って、その「大人」が自分に今も関わり続けてくれている、だからこそ今の自分があるのだと思うのですが、学校でも「大人」に出会ったのも大きかったんですね。
中2,3の担任の先生。中3の国語の先生。高校水泳部の顧問。高3時に受験倫理を教えてくれた先生。
先生、だけども、大人、でもあった、と思います。

自分に影響を与えた先生は、大人だったんだなぁ、と今になって気付きました。



自分がいま、小学生から高校生までの子どもに関わる中で、一番心がけているのが、「まつむらさゆこ」として、関わること。
自分が感じることを言葉にして、それをぶつけること。
もう、だいぶ無意識に、「まつむらさゆこ」で関わっていると思います。

だからこそ、今回、北星余市高校に行って、こういう自分のスタンスでええんや、というのを再認識できたのが、一番の気付きでした。

これでいいのだ、と。



そして、やはり自分の中で、親との関係、というのがつきまとうな、というのも、今回高校生と話していて感じました。

よっぽど、この子たちの方が、客観的に見れるようになっているなぁ、と。(実際親と接しているところを見ていないのでわからないですが)

自分が変われば、親との関係も変わる、と最近は思っていて、自分から親へのアプローチを変えようとしていたのですが、相手の変わらなさにイライラしてしまい、しんどくなってしまいました。
まだまだ親との関係は続く(のかもしれないし、明日終わるのかもしれない)のだからこそ、性急にならなくても良いや、と今は思っています。


そんな、自分のこともふり返り、また自分について知ることもできた2日間でした。
posted by Sayu at 01:05| 京都 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | Thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

けついひょうめい。

たぶん、もうここ1年くらい、沈みっぱなしで、自分に嫌気がさします。

何やってんにゃろな〜、ウチ。

全然必死になってない。全然何もやってない。


しんどいなぁ。つらいなぁ。


自分からアクションを起こすことが恐い?

他人への不信感?



やっぱり、自分が進みたいと思う、信じる方向へ進もうか。

「この人」と思える人たちと、「ここ」という場で。
自分が今わくわくするもの。自ら動こうと思えるもの。




「なにもしない」3ヶ月間、を過ごした。


「今何やってるんですか?」という質問に、「まぁ、いろいろ」と答えるツラさ。


「あれとあれとあれに関わってる」という自分の主体感のなさ。



やっぱりダメだ。

主体性のない関わりは、自分自身を苦しめるだけだ。


相手にも迷惑をかける。


やっぱり、自分にとって、魅力的ではないのだ。人も、場も。

そこで判断してはいけないのかもしれない。
でも、やっぱり、自分に「やったろう」っていう気が起こらない限り、今のままでは、自分にも相手にも良くない。



ここ最近、ずーーっともやもやしていた。

自分のシゴトは自分でつくらないと、ないんじゃないか、って。

自分のこの胸にある欲求は、今ある現存するもので満たされるものではなく、何かのついでに満たされるものではない。


自分が最近中途半端に関わっているところでは、ダメなのだ。



自分が持ち続けている仮説を証明し続けること。

それが、自分が生涯為し続けたいこと。



このもやもやを晴らすのは、自分しかない。
誰かのせいにしていた自分。
でも、それじゃぁ、ダメなのだ。


仲間集めと意志発信から、始める。



さぁ。動きだそう。
posted by Sayu at 01:33| 京都 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

具が!

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ない!
posted by Sayu at 17:54| 京都 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月13日

那覇の児童館にて。

100313_165957.jpg


本気でドッジボール中ヽ(´ー`)/
posted by Sayu at 17:01| 京都 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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